2012年11月01日(木)
ブラウン管が映し出す文化
テレビの人気コメディドラマ「ベッカー」は、いつも怒っててちょっとシニカルな町医者ベッカーが主人公。
お医者さんなのに、タバコとコーヒーが欠かせないベッカーの行きつけのカフェがあるんだけど、
そこにはいつもおなじみの顔が何人かいて、その中に全盲の黒人男性がいる。
二人とも仲はいいけど、いつも皮肉やからかいが会話の中心。
時にはベッカーがやり込められて、怒りんぼの医者は
「こいつ~、見えないくせに見えるようなこと言いやがって!!」
ってその相棒に向かって悔しまぎれに怒鳴っちゃったりは日常茶飯事。
そこでまたギャラリーの笑い声が音響で入ったりもする。
そこで私は想像してみる、このドラマの日本版を。
全盲の人をからかったり笑ったりするのは、社会的にちょっとまずいんじゃないか、
スポンサーの広告が取れない、教育委員会からクレームがつく……
なんやかんやできっとこういうドラマは企画からボツになり、
制作されないんじゃないだろうか。
障害者の人が、困難に負けずに美しく生き抜くテーマならいくつかの人気ドラマに記憶があるけど、
コメディで笑いを取るような場面では記憶がない。
私が「ベッカー」を観る時に感じるちょっとした違和感は、
日本のこうしたテレビ番組のPC(political correct=政治的に正しい)コードから長年培われた
「日本人の発想」 から生まれるものなのかもしれないなぁ。
でも実は、それこそが、特別視してるわけで、障害がある人はコメディにふさわしくない、
とお笑いの世界から障害者を締め出すことにもなりかねない。
そこへいくと、「ベッカー」のようなドラマがゴールデンアワーをにぎわしているオーストラリアやアメリカ(番組制作国)のほうが、まっとうじゃない?
そういえば同性愛者がドラマのキャラクターに出てくることも多い。
こちらでは、まったく日常のドラマやコメディの「1(いち)キャラクター」として登場する。
それはまるで、話好きな人、無口な人っていうような個性の違いくらいに、ごく普通に登場する。
日本で頑張ってるオトタケくんのいう「バリアフリー」っていうのも、
障害者に優しくしてほしいというより、こっちのほうに近いんじゃないかって思う。
特別視してほしくないっていう……。
そういえば思い出したけど、日本にいたとき、深夜番組をダラダラ観ながらうたた寝してると、
すっごいシブくてイイ声が流れてて目が覚めた。
それは、あるロックバンドのライブ中継だった。
たしかニュース番組観てたのに、あれ? チャンネル変わった? という感じ。
そのバンドはすべて重度の障害者で構成されてて、ボーカルは全盲の人だった。
その人が汗を拭きながら、曲間に言ったの。
「今日のコンサートは明日、新聞の社会面で紹介されるそうです。
いつか僕たちの活動が、 芸能面で紹介される日を目標に頑張ります」って。
下からマリコラム解説:今回のコラムはなぜか語り口調。 カフェで向かい合って話してる気分で読んでください(笑)
さて、10年経って、ここに登場する乙武くんも、いまではお父さんになって、教員免許まで取得され、ますます活躍されているようですね。
そして、今の日本のテレビ番組はどうですか? 現実を、日常を映してますか?
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